シンポジウム1「世界の紛争と非暴力」

非暴力アプローチを世界のメインストリームに
2008年5月5日 午前10:00-12:30
コンベンションB


コーディネーター:
谷山博史(日本国際ボランティアセンター(JVC)代表)

問題提起:
ヤスナ・バスティッチ(ボスニア出身、ジャーナリスト)

パネリスト:
フローレンス・ンパエイ(ナイロビ平和イニシアティブ代表)
伊勢崎賢治(東京外語大学教授)

コメンテーター:
エル・ハジ・ムボッチ(セネガル人憲法学者)
本シンポジウムは紛争解決のための非暴力のアプローチを紛争の現場から学び、その可能性と課題を明らかにしようとするものです。そして紛争解決の非暴力のアプローチに憲法9条がどうのように関わり、9条をどのように平和運動に生かすことができるのかを考えます。

司会によるこのような趣旨説明の後ヤスナさんから9条世界会議と本シンポジウムの背景と意義の確認がありました。


最初にヤスナさんは、戦争は遠くのことだと思っていたことがある日すぐ目の前の現実としてやってくる、と自身のボスニア紛争の体験を語り出しました。無縁のものと思っていた戦争が準備されているのに人々は多くの場合受身なのだと言います。1人ひとりが戦争になる前に行動を起こさなければならない、それには対立が武力紛争に発展する前にどう予防するか、紛争の予防のために人々の英知と資源をどう動員するかが決定的に重要だと強調します。そして武力紛争を予防するため行動計画は1999年のハーグ平和会議で提起され、国連の諮問要請を受けて進められたGPPACのプロセスや2006年のバンクーバー平和フォーラムに受け継がれたこと、これら世界の市民による平和運動の延長線上にこの9条世界会議があることの確認がなされました。


とは言っても、と司会がヤスナさんの議論を受けます。今でも世界の各地で紛争は発生している。現実の紛争において非暴力、非軍事の取り組みは力を持ちえたのか、現場の経験に立ち返って考えてみよう、とフローレンスさんの発言を誘います。


フローレンスさんは、2007年9月の選挙の後、選挙結果を巡って起こった激しい衝突を市民が立ち上がって沈静化に導いたケニアの事例を語ってくれました。平和だったケニアで突如紛争が起こりました。この紛争の背景には植民地時代に作られた中央と地方の格差と部族対立がありました。しかしケニアでは市民が人権を初め様々の問題で政府との対話できる土壌がありました。この土壌の上に女性が立ち上がり、市民が立ち上がって紛争を対話に変えていきました。まず、人々が集い問題を解決するための対話のスペースを作っていきました。そして海外のリーダーを招聘し、対立する政治家や部族の長老の仲介、調停をしてもらい、平和の流れを作りました。コフィ・アナン、ツツ司教、女性運動のリーダー、スーダンやソマリアで和解に成功した人々などが仲介のために働きました。さらにメディアアプローチを積極的に行いました。メディア対して憎しみと対立のメッセージではなく、平和と対話のメッセージを伝え、情勢を沈静化させるように働きかけたのです。


これは瞠目すべき事実です。もしこのような努力がなければ収集のつかない紛争に発展していたかもしれないからです。


次に伊勢崎賢治さんから自らが責任者を務めたアフガニスタンやシエラレオネでの武装解除の事例をもとに話をしてもらいました。アフガニスタン戦争はタリバーンを叩き、新しい国を作る戦争であった。軍閥を解体し、最強の軍隊をつくり、統一政権を築くこと、しかもアメリカの利益に適う国、つまりUnited State of Afghanistanを作ることであったといいます。いわば自分は「悲しき協力者」であったと苦渋の思いを吐露しました。しかし軍閥解体はしなければならなかったこと、それは国連よりもアフガニスタンで中立だと思われていた日本だからできたことだと言います。日本は武力を用いず、政治力と信頼関係作りでこれを成し遂げたと評価します。一方で軍閥解体の結果地方に力の空白が生まれ、タリバーンの復活を許したとも言います。またシエラレオネの和平の例を上げ、人道に対する罪に当たる反政府ゲリラリーダーとの妥協は、平和のために正義が犠牲になる現実の不条理を示していると言います。戦争が起こってしまえばそれを終息させるために多大なコストがかかる。大量殺人を防ぐための軍事的な介入もときには必要である。だからこそ紛争と戦争は予防が大事なのだと締めくくりました。


この話を受けて司会から捕捉説明がありました。アフガニスタンの事例について、対テロ戦争として始められ、現在も行われている戦争は住民を敵にした戦争であるために終息の目途は全く立っていないこと、武力介入がアフガニスタンの人たちと国際社会のコストを極大化していることを付け加えました。一方、日本が非軍事の立場から行った武装解除は、アメリカの戦略への協力であった点を差し引いて考えねばならないが、非軍事の平和構築のあり方に一つの示唆を与えている点に注意を促しました。さらに起こってしまった戦争には軍事介入もありうる、との発言に対してもフロアーの注意を促しました。すなわち、人道危機のケースでは多くの場合、武力介入がなかったからというよりも、人道危機が起こる状況を国際社会が見過ごしてきた、あるいは知っていて対応しなかったこと、さらには超大国が故意にそういう状況を作ったことに問題があった。またあらゆる努力が効を奏せず人道危機に至ったケースでも、誰がどのように武力介入するか(国際合意の枠組みを抜きにした一方的な介入か、多国間の合意による国連などの国際機関による介入か)が決定的に重要となってくるというコメントが加えられました。


ここでフロアーからの質問がありました。紛争を予防し、解決するために市民はどうしたらいいのか、という点に質問が集中しました。ある男性は人々を無関心から引き出すにはどうしたらいいのか、と。またある女性は女性を動員するにはどうしたらいいのかという質問がありました。またアフリカ連合軍が紛争に介入してうまくいった例があるが、9条の平和主義の観点からこれをどのように考えたらいいのかという質問もありました。


フロアーの質問受けてフローレンスさんは、紛争の被害を最も受けるのは女性である。そして家族の生活が脅かされていると感じるときに女性は動く。政治家に任せるのではなく、紛争の現場で女性がいち早く隣人と連帯しなければならないと説きます。ヤスナさんは政府がどう動くのかを予想する力を平和教育を通して人々が身につけることの必要を強調します。伊勢崎さんは、市民が軍事を知り、政府や政治家を監視する必要を説きます。また9条を守るためには、護憲派が戦略的になるべきこと、改憲派ではあるが9条の意義を生かしていこうとする護憲的改憲派を巻き込むべきことを説きます。


最後にムボッチさんからこれまでの議論を受けてコメントをもらいました。日本の憲法9条は武力による紛争解決のいかなる例外も認めない世界に類を見ない規定であるが、自衛の定義を曖昧にしている、とその問題点を指摘します。にもかかわらず9条は世界中に非暴力の紛争解決のアプローチにインスピレーションを与え、その結果コスタリカを始め9条に倣う国々が出てきていると言います。このことは9条がユートピアではなく現実的なものであることを示していると断言します。またアフリカに例をとりながら、地域の集団的な安全保障の取り組みが紛争の危険を減らし、平和の環境を醸成するとし、9条の持つ意義もそこに通底すると言います。今はまだ現実は厳しく9条のビジョンに追いついていないが、平和の文化を築く上で9条は守らなければならないとし、憲法に9条を変えてはいけないという条項を加えるべきことを提案します。

最後に司会がシンポジウムの議論を以下のようにまとめました。
・非暴力的なアプローチとして第一に挙げられることは、紛争の原因を除去する国内・国際的な不断で実行力のある取り組みである。
・紛争・戦争の原因を取り除く非暴力アプローチには、紛争・戦争の原因のメカニズム、悲惨な現実と平和の尊さ、多文化共生の文化、戦争のない世界が達成可能であることを教える平和教育が含まれる。
・非暴力的なアプローチは、対立が暴力的な紛争にいたる前に最も力を発揮する。そこでは紛争の早期警報と早期の国際社会の関与が不可欠である。
・非暴力的なアプローチは、紛争が発生した時点でもなお決定的な役割を持ち続ける。市民による対話のスペースの創出と国際社会の中立の仲介者の巻き込みが重要である。私たちはこのことをケニアの危機に対処した市民、特に女性の経験に学んだ。
・紛争がエスカレートし、人道的な危機の状況に至る前に、状況によっては国際的な軍事介入が必要な場合がある。しかしこのような軍事的な介入は多国籍の中立の機関による迅速かつ効果的なものである必要がある。
・これら非暴力の紛争解決のあらゆる側面において日本国憲法9条は先例とビジョンを提供している。非暴力の紛争解決の可能性を追求する上で9条を守り世界に広める必要がある。
(文責 谷山博史)
投稿者:金熊 | 分科会レポート | comments (0) | trackbacks (0)

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