■シンポジウム2 アジアの中の9条
<権 赫泰>
平和への夢を憲法9条で実現しようとするならば、アジアからの同意がもっとも大事です。そのためにわれわれは憲法9条の影の部分、矛盾に答えなければなりません。この分科会はその手がかりをつかむことを目的にしております。それは三つの視点からなっています。ひとつは、理念としての憲法9条論です。実際、憲法9条をアジアが導入できるのか、導入できないとすればそれはどういう国内事情のためなのかという問いです。二つは、歴史認識としての憲法9条論です。植民地化と侵略戦争への清算問題がいまだに尾を引いている日本と周辺地域との関係を見れば一目瞭然です。すなわち、日本は憲法9条を持つにも関わらず、なぜ戦後ずっと戦争責任・戦後責任を他のアジアの国々から問われ続けているのでしょうか。この問いへの手がかりをつかみたいのです。三つ目は、平和憲法と周辺地域との関係の問題。それは平和憲法が周辺地域の犠牲の上になりたっているという認識です。沖縄などに米軍を押し付けることで、あるいは周辺地域が戦闘基地として日本列島を守ってくれることによって平和憲法が維持できたという認識。それは周辺地域に独裁政権という政治形態の出現という原因にもなりました。最近周辺地域が民主化などによって、戦闘基地としての役割に異議申し立ている状況の中で日本政府が憲法改定を進めようとしているのは単なる偶然でしょうか。このような状況をどう理解すれば良いのかということが本会の目的です。
<ガス・ミクラット>
大東亜共栄圏というプロパガンダは現実と大きな乖離がありました。欧米の列強からアジアを守るという名目で、旧日本軍は他のアジア地域を侵略しました。旧日本軍の侵略を受けた国々はアジア・太平洋の広範な地域に及びました。その結果、300万人の日本人と2300万人のアジアの人々の命が失われました。戦争の惨事は日本の一般市民の平和の心に灯をつけました。こうした背景の下に、日本国憲法の第9条は誕生しました。これは歴史的条項だと思います。すべての人間は平和と調和の中に生きなくてはならない。過ちを2度と繰り返してはならないという願いがここに込められています。憲法9条の下、戦争を放棄した日本は産業を発展させ、世界第2位の経済大国となりました。日本国民は戦争ではなく、生活を向上させることに専念してきました。憲法9条は日本の発展の原動力であったと言えると思います。フィリピンの私たちが米軍基地をフィリピンから追い出す際にも、日本の憲法9条はフィリピン人にとってひとつの心のよりどころでした。もし9条が失われたら、戦争の恐怖が心に蘇り、軍備を強化する他国に遅れを取るまいとしてアジア地域は軍拡競争に巻き込まれてしまいます。すべての国が戦争ではなく、別の手段で安全を確保する手段として日本の憲法9条はアジア地域におけるモデルとなるはずです。
<ジョセフ・ガーソン>
昨年の参院選挙において、日本国民は安倍政権に「不信任」を突きつけました。それは、軍国主義と超国家主義が日本を破滅に追いやった15年戦争の教訓が今も生きていることを意味しています。しかし福田政権になっても安心できる状況にありません。国民投票法案が安倍政権下に可決されたので、今も日本の憲法は危機的な状況にあると言えます。民主党の小沢一郎氏は日本の自衛隊は国連の平和維持軍に参加すべきだと主張しています。これはこれまでの憲法解釈を大きく変えるもので実質の改憲の動きと言えます。
冷戦下、日本はアメリカの戦略的な要塞となりました。現在の米国政府は憲法改定もしくは解釈改憲を狙っています。アーミテージ・ナイ報告には、ワシントンにとって最大の脅威のひとつに、中国主導で米国を排除ないし周縁化するような貿易圏の出現が挙げられています。したがって、米国政府は短命に終わった安倍政権が打ち出したような超国家主義を黙認し、憲法改定と日米同盟の深化、拡大を推し進めることで、日本と中国との緊張を煽っています。
そうした状況下において、9条は日本の軍国主義に重要な一線を引き、日本と東北アジアの平和に貢献してきました。9条はこの地域においてますます重要なものとなっています。
<高里鈴代>
今年は憲法施行61周年になります。しかし、沖縄での憲法が施行されたのは1972年の施政権返還、本土復帰によってですから、沖縄が憲法を得てからは36年です。1952年4月28日に発効した講和条約によって、沖縄は日本から切り離され、憲法の枠外に置かれました。
沖縄が米軍支配から解放されて、日本への復帰を求めたのは、平和憲法の存在です。「平和憲法の下に復帰」をスローガンに復帰運動が展開され、「平和憲法」こそ復帰運動の原動力でした。そして、復帰は実現しました。
しかし、希求した「基地のない沖縄」は実現せず、復帰後から現在まで、逆に基地は強化、集中配備されて、復帰時の米軍基地の沖縄に占める割合は53%であったものが、現在75%です。復帰によって真っ先にやってきたのも自衛隊でした。
平和憲法の下に復帰したが、平和憲法と書いた門をくぐったが、振り返ってみるとその門の裏側には日米安全保障条約、日米軍事同盟第一と書かれていたようなものです。
憲法9条の理念に立つなら、改めて日本がよって立つ日米軍事同盟、日米安全保障条約を問わなければなりません。その中で、必要なことは、平和憲法の理念にそった「安全保障」の再定義です。
現在、米軍基地の拡張、米軍基地の環境問題、軍再編計画に伴う問題については、沖縄、韓国、フィリピン、グァム、ハワイなどと互いの状況を交換し、共同調査や支援関係が築かれつつあることも真の安全保障を築く上で重要です。
<陳 瑤華>
私は「アジア的価値」という視点から憲法9条を語りたいと思います。90年代に普遍的人権と文化相対主義という文脈で「アジア的価値」をめぐる論争がありました。しかし、アジアにおいて平和を確立する上での地域的国際的メカニズムを構築することは出来ませんでした。1946年、チャーチルはチューリヒ大学で以下のような演説をしました。「ヨーロッパは統合されなくてはならない。ヨーロッパには統合の基盤と成り得る共通の価値がある。それは、個人の自由、政治的自由、法の統治などの民主主義の原則である」。
私は憲法9条とアジアの平和に関して、二つの重要な意義があると思っています。ひとつは、憲法9条の文化的政治的意義はアジアの伝統的価値から受け継がれたものであるということ。二つ目は、アメリカ政府が「対テロ戦争」を唱えるようになってからアジアもさらに軍拡競争に巻き込まれていますが、憲法9条が軍事費増大の歯止めになるということです。アジアには、皆を愛する、相手を攻撃しない、皇帝の権力を制限し人間を尊重するなどの憲法9条の平和主義に通じる伝統的価値観があります。憲法9条に体現された伝統的価値に基づき、人権と平和をモニターする地域的国際的なメカニズムを創ることが必要だと思います。アジアにおいて、そうしたメカニズムを創る上で私も一翼を担っていきたいと思います。
<班 忠義>
日本国憲法は次のように喩えてみることが出来ると思います。終戦後、世界中の憲法の最良の部分(種)を取り入れ、成長して大木になったのが日本の平和憲法、そして、そのてっぺんに咲いている花が9条だと思います。だから憲法9条には一般の人に届かない気高さがある。しかし平和憲法という大木も地盤が強くなければ倒れてしまう。私はその地盤は「隣国との対話」という環境づくりだと思います。隣国の人々が憲法9条に尊敬の気持ちを持つようにしなくてはならない。そのためには乗り越えなくてはならないハードルがあります。歴史問題です。私は昨日9条世界会議全体会に多くの人が集まったのを見て感動しました。日本の平和を愛する人々の強い気持ちを感じました。同じく95年に沖縄の8万人集会のニュースをテレビで観たときも深く感動しました。少女レイプ事件に対する沖縄の人々の怒りを感じました。実は95年の沖縄の集会のニュースをテレビで観たときは、私は中国で日本軍「慰安婦」にされた女性の取材から帰ってきたばかりでした。50年間過ぎてもトラウマに苦しみ、手が震え、うまくしゃべることも出来ない。そして子どもを産むこともできなかった女性。そんな人生を送ってきた女性のことを日本人がまったく知らない。やはり、こうした歴史問題を解決しないと、日本人の平和への訴えは中国の人にとって素直に受け止めることが出来ない。平和憲法を輸出するなら、歴史問題の清算が先決です。
そして中国が平和憲法を取り入れるためには、中国において主権在民が保障されなくてはなりません。「愛国」という言葉を乗り越えなくてはなりません。私たちは人間を愛さなくてはならない。国はまず人間から成り立つもの。どの国も同じです。そういう精神で9条は広めなくてはならない。中国の言葉で、「任重くして、道遠し」。皆さん、頑張りましょう。
<ニコラ・リスクティン>
ドイツとの比較から憲法9条についてコメントしたいと思います。1955年、西ドイツは大きな過ちを犯しました。ドイツ基本法を改訂し、西ドイツが軍隊を保持出来るようにしました。冷戦下、西側陣営の一員として戦略的役割を果たすことが求められていたためです。
現在、ドイツは220余りの米軍基地持ち、イラク戦争に参戦はしませんでしたが、米軍の兵站基地としてイラク侵略に加担しました。またアフガンへの派兵については、それは事実上の占領であり、ドイツは派兵すべきでないという批判がドイツ国内にあります。
そうした意味で、憲法9条と日米同盟の間で揺れる日本の選択はドイツの問題でもあります。私は憲法9条をこれまで維持してきた日本の皆さんの運動を支持しますし、また9条の理念が完全に実現されるまで皆さんを応援し続けていきたいと思います。
(文責:野平晋作)
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