海外からのゲストをご紹介します。ここに紹介する海外ゲストは、来日する百数十名のゲストのごく一部です。より詳しいゲスト情報については、以下のPDF書類をダウンロードしてご参照ください。

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基調講演者

 

マイレッド・コリガン・マグワイア
Mairead Corrigan Maguire

 

テロと暴力の歴史に終止符を打つために

北アイルランドの歴史はとっても複雑。信仰と政治的見解の違いが絡み合い、闘争とテロが絶えず、人々は90年近くも苦難に曝されてきました。そんな北アイルランドの平和への歩みに貢献して、76年にノーベル平和賞を受賞したのがマイレッド。彼女は、妹アンの3人の子供たちが、IRAの逃走車に轢かれて亡くなるという悲劇に遭遇。その後アンが自殺し、事故の目撃者のベティ・ウィリアムズと共に、3万5000人もの市民がベルファストの路上に集まる大規模な平和デモを組織。もちろん彼女の活動はそれだけに終わりませんでした。平和のためのコミュニティ「Peace People」を設立。現在もイスラエル、パレスチナなど世界を巡り、時に紛争地で負傷しつつも、情熱的に平和活動を続けています。

<プロフィール>
1944年、北アイルランド、ベルファストのローマンカトリックの家に生まれる。14歳までカトリック・スクールに通い、秘書の仕事をしながらボランティアに参画。76年、ベティ・ウィリアムズと共にノーベル平和賞受賞。国際平和評議会のメンバー

 

コーラ・ワイス
Cora Weiss

 

ハーグ世界平和市民会議のキーパーソン

1999年5月、オランダ、ハーグで開催された「ハーグ世界平和市民会議」。100カ国におよぶ市民および政府代表が一同に会し、平和への取り組みを討議。世界の平和史の記念塔ともなるカンファレンスでした。この会議の中心となって動いたのが、「国際平和ビューロー(IPB)」の元会長で、「平和のために行動する女性の会(Woman Strike for Peace)」の共同創始者でもあるコーラ・ワイズ。開会の辞で「人々は戦争に疲れている。今こそ平和の文化を創ろう」と宣言。戦争廃絶と平和の創造という明快な課題を掲げ、「21世紀のためのハーグ・アジェンダ」を採択。その中に示された「公正な社会秩序としての10の基本原則」の第一項に「各国議会は日本の憲法9条のような決議を採択するべきである」と掲げました。そんなイニシアティヴに呼応して、今度は日本で開催される「9条世界会議」。「日本の9条は国連憲章第2条(4)項の発展である」と激励してくれているコーラがこの会議にやってくることは、とても意味のあることです!

<プロフィール>
「平和のために行動する女性の会(Woman Strike for Peace)」の共同創始者として、大気圏での核実験を終結させるために尽力。戦争廃絶という明快なメッセージを掲げながら精力的に行動してきたアメリカを代表する平和運動のリーダー。「国際平和ビューロー(IPB)」元会長。IPBは1910年にノーベル平和賞を受賞している。

 

全体会での発言予定者

 

エマニュエル・ボンバンデ Emmanuel Bombande
ガーナ/西アフリカ平和構築ネットワーク

 

「西アフリカ平和構築ネットワーク」(WANEP)の共同創設者、そして事務局長であるエマニュエル・ボンバンデは紛争分析に専門知識を持ち、アフリカ全域の紛争緩和と紛争予防に係わる平和構築実行者、国際トレーナーである。彼は、西アフリカのコミュニティーにおける調停に仲介者として関わり、ガーナ政府のコミュニティー内外の調停イニシアティブにおいて助言してきた。また、アクラ・ガーナのコフィ・アナン平和維持センターやサンド・スウェーデンのフォーク・ベナードッテ・アカデミーなどを含む多くの上等教育機関や平和構築機関において平和構築コースの教鞭をとってきた。また、様々な国連機関や西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)などに活発に関わりをもつ西アフリカの平和構築ネットワークにおいて、WANEPのリーダーとしての指導力を発揮している。

 

ベアテ・シロタ・ゴードン Beate Sirota Gordon
アメリカ/元GHQ憲法起草者

 

ベアテ・シロタはウィーンで生まれ、家族が移民した東京で育った。そして、16歳になった時、両親は言語を勉強させるためにカリフォルニアにあるミルズ・カレッジに彼女を送る。戦時中、米国連邦通信委員会の外国放送サービス部、戦争情報局、タイム誌などで働いた。戦争終結後、日本に帰国し、連合国軍最高司令官総司令官、ダグラス・マッカーサーの翻訳家として働き始めた。また、アメリカが日本国憲法草案を作成した時、ベアテ・シロタは人権小委員会の一員として日本における男女平等についての条項(第24条)を担当した。ベアテ・シロタ・ゴードンは、1947年アメリカに帰国して以来、日米間の文化交流に多大なる貢献をしている。彼女は、ジャパン・ソサエティの元舞台芸術監督で、日本やアメリカの大学やその他の教育機関において多数の講演を行っている。

 

カルロス・バルガス Carlos Vargas Pizarro
コスタリカ/国際反核法律家協会副会長

 

コスタリカ大学法学部教授、弁護士。コスタリカ外務省にて1986年から1990年まで法務局長を務め、1987年から1989年の間は数カ国にて同国大使。彼はまた米州人権裁判所の法務特使として、1995年、核兵器の使用・脅威の合法性について勧告的意見の事案に関わった。バルガスはまた、拷問等禁止条約に対する選択議定書を作成する国連作業委員会の会長・報告者として貢献した。国際法・国際人権法の教授であるカルロス・バルガスは、コスタリカ弁護士協会とコスタリカ国際人権法協会のメンバーで、国際反核法律家協会(IALANA)の副会長でもある。