ゲスト・スピーカー(つづき)

 

ポール・サオケ Paul Saoke
ケニア/社会的責任を求める医師の会

 

公衆衛生専門家で、ケニアにある「社会的責任を求める医師の会」の会長。国際環境医師協会(アフリカ地域)の副会長。残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約や「国際化学物質管理戦略」(SAICM)の交渉に積極的に参加し、「子供のための健全な環境についての協定」(HECA)タスクフォースのメンバーでもあった。現在はケニアのストックホルム条約の実行のための委員会の副委員、DDT(防疫・殺虫剤)専門委員会の委員長。ケニアのDDT行動企画の開発を進めた。

 

アリス・スレーター Alice Slater
アメリカ/核時代平和財団

 

核時代平和財団のニューヨーク所長。核兵器廃絶NGOネットワーク「アボリション2000」創設者。同ネットワークで国際調整委員および持続可能エネルギー部会主宰者。ニューヨーク市弁護士協会のエネルギー委員会委員。核政策法律家委員会および中堅国家構想の理事。核政策研究所および宇宙における核兵器と原子力に反対する地球ネットワークの顧問。国連広報局のNGO理事会メンバーとして、国連において核や環境問題に関して、数多くの会議、ラウンドテーブルなどを主催してきた。著書、メディア出演、地元紙・国内紙における論説など多数。

 

キャスリン・サリバン  Kathleen Sullivan
アメリカ/軍縮教育家

 

軍縮教育者、著者、活動者、そして映画の制作者として、核問題と20年以上関わっている。
アメリカ、イギリス、インド、インドネシア、オーストラリア、オーストリア、スペイン、スイス、日本などで若者、コミュニティ活動者、学者、政府や核産業の代表と密接に仕事している。元「社会的責任のための教育者の会・核兵器教育行動プロジェクト」のコーディネーターで、現在は国連軍縮部の教育コンサルタントを務める。ベテラン監督ロバート・リクターと共に、長崎の被爆者についての映画「The Last Atomic Bomb ~最後の原爆~」を制作。スティーブン・オカザキの作品「白い光/黒い雨:広島長崎の破壊」の制作コンサルタントも務めた。

 

カーシム・トゥルキ  Kasim Turki
イラク/人道支援ワーカー

 

2001年から2003年までイラク共和国防衛軍で軍務に服す。ジャーナリストとしてのデビューは2003年4月のファルージャへの米国攻撃の報道。メディア活動の関係で2回ほど米国側に拘束された。
イラクで支援・復興・人権プロジェクトを支援する日本のNGO「イラクホープネットワーク」で人道的支援の活動をしている。機械工学士としての教育を受け、機械工学士や先生が戦争の問題に立ち向かう若者や家族を支援する「リビルド・ユース・グループ(若者達による再建組織)」という団体を設立し、会長を務めている。自分の故郷ラマディの再建のための技術顧問も務めている。日本語での作品集『イラクからの手紙 ―失われた僕の町ラマディ』を出版。現在はイラクの現状や自分の戦争・占領経験についての本を執筆中。

 

クリストファー・ウィラマントリー  Christopher Gregory Weeramantry
スリランカ/元国際司法裁判所(ICJ)判事

 

国際反核法律家協会(IALANA)の会長。国際司法裁判所(ICJ)で、1991年から2000まで判事、1997年から2000年まで副所長。1996年、核兵器の使用・威嚇の違法性に関するICJの勧告的意見に携わる。1967年から1972年までスリランカの最高裁判所の判事。ウィラマントリー平和教育研究国際センター(WICPER)の設立者、議長。ユネスコ平和教育賞を2006年に受賞。多くの法律や人権に関する諮問機関のメンバーで、複数の大学で名誉教授を務めている。2007年に、スウエーデンで「ライト・ライブリフッド賞(正しい暮らし賞)」(もう一つのノーベル賞)を受賞。

 

エレン・ウッズワース Ellen Woodsworth
カナダ/バンクーバー元市議会議員

 

社会正義、経済的平等や健全な環境計画のコミュニティー活動者。2002年から2005年までカナダ・バンクーバーで市議会議員を務め、以来、気候変動や被害削減のフォーラムを主催し、2006年の世界平和フォーラム(WPF)の書記や地域コーディネーターを務めた。
トロント生まれで、日本で高校に通い、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学を卒業。カナダのトロントで女性の移動図書館を経営し、「もう一人の女性(The Other Woman)」という女性の新聞を創立。「家事労働に賃金を国際キャンペーン」の活動のために、イギリスのロンドンに渡った。1996年に、政府の国勢調査に賃金のない家事労働を含むことに成功した全国連合と活動し、ブリティッシュ・コロンビア・アクション・カナダ・ネットワークの議長も務めた。

 

アン・ライト Ann Wright
アメリカ/元陸軍大佐・外交官

 

29年間米国の陸軍、そして国務省当局者として働いた後、2003年にイラク戦争に反対して公式に辞任した。外交局職員としていくつかの大使館を開設し、1997年のシエラレオネの内戦から2、500人も避難させるという英雄的行為で表彰された。
彼女は以下の4つの理由で辞任した。第一に、米政府が国連の支持なしでイラクを攻撃したこと。第二に、イスラエル・パレスチナの和平プロセスに対する「努力不足」。第三に、北朝鮮に対する「政策の欠如」。第四に、米国において人権の抑制。
シンディ・シーハンと共にキャンプ・ケーシーにてデモを行い、エーラン・ワタダ中尉の裁判の中で証人として登場し、米国における平和運動に深く関与している。